最近のKindleラインナップを体を動かす関係が占領

Kindleの一覧はいま、こんな感じ。

特に今までまるでやってこなかった「走ること」に関心が集中している。

 

「とりあえず読書する習慣」は役立っている。

こればかりは自分の強みだと思う。

 

f:id:yumainaura:20170815000835p:plain

「走り方で脳が変わる!」 ( 茂木健一郎 ) の感想

いくつかの部分で共感した。

 

走る時や、歩く時に最も大事なのは「自分の体と対話すること」。

 

「1日30分のランニングが体に良い」ということが統計的に事実だとしても、

「1日30分」という目標数値を掲げてしまうのは、なんともつまらないと思う。

 

数字を掲げてしまった時点で、それは義務になり、

「歩くこと、走ることで得られる自然な喜び」から遠ざかってしまう。

 

自分の体に聞いて、最も心地良いやり方を選ぶこと。

「もう、歩きたくない」「走りたくない」という声にも敏感になること。

それが体を動かすことの本質じゃないだろうか。

 

 

f:id:yumainaura:20170813214458p:plain

 

距離はほんの少しでもいい。近所のコンビニエンスストアまで走っていき、帰りも走ってくるだけでも、立派なランニングだ

 

走りながら自分の体の声を聞いていると、どこでやめるべきか、もうちょっとがんばれるのかは、すぐにわかる。調子が悪いときは悪いなりにどう走ればいいのか、というコントロール能力も今では身についている。ランニングを続けることで、体調を把握するセンサーが敏感になるのだ

 

走る習慣のない人にとっては、走っていない状態がホームで、走っている状態がアウェー。強い意志を持って走ろうとしないかぎり、自然にホームに戻ってしまう。  経験的に言うと、1週間毎日走れば、走ることが少しだけホームになる。1ヵ月も続けば、逆に走らないほうが気持ち悪いと感じるようになる。  僕はもう、そういう体になっている。走れない日が続くと、むしろ体調が悪くなる感じがするのだ。  走っていない状態が非日常(アウェー)で、走っている状態が日常(ホーム)。そうなればもう、自動的に継続できるようになる 

そして、ランニングを続けるために大事なのは、「中止する決断」をすること。「今日は調子が悪いな」と気づいたら、僕はすぐにランニングをやめて歩くようにしている。  それはもう、自分との対話なのだ

 

 

 いきなり長距離に挑戦して、膝を悪くしてしまい、ランニングから遠ざかる人もいる。  これらの人は、どうも「ランニングとはかくあるべし」という理想が高すぎるような気がする。きっと、僕が提唱する「1分ランニング」なんて考えられないことなのだろう

 

 



ナイキの「フリー」を買ってみた

足を守りすぎず、裸足感覚に近いランニングシューズらしい。

 

f:id:yumainaura:20170813213603p:plain

 

と言っても、僕はジョギングと呼べるほどのことも、まだしていないのだけれど。

 

ほんの10秒間ぐらいの間、ふと走り出したくなる瞬間がある。

その瞬間のための靴。

 

靴選びは本当に悩んだ。

5年間ほどRED WINGのシューズを履き続けてきて、スニーカーの世界がまったく分からない。

スポーツショップの膨大な靴の中から、一体どれを選べば良いのか。

あまりにも敷居が高いように思えた。

 

色やサイズ、履き心地、デザイン性、汚れなさそうな感じ。

「これだ」と決めた靴はレディス専用でサイズがなかったり、品切れだったりした。

 

「いつでも走れる体勢」を作るために、どうせなら、足を鍛えられそうな靴のほうが良い。

と思って、遂にこいつに決めた。

 

 

 

マラソンの本はたくさんあるのにウォーキングの本はほとんどない

たぶん「歩くなんて誰でも出来る」と考えられているんだろうか。

 

ランナーの人口より、ウォーキング人口の方がはるかに多いはずなのに。

(誰だって、1日には多少なりとも歩くから)

 

ある程度、運動意識の高い人はウォーキングではなくてランニングを始めてしまうから、

ウォーキングとか「普段の歩き方」というのは、ほとんど人の意識にのぼらないのかもしれない。

 

 

 

f:id:yumainaura:20170813091756p:plain

 

 

f:id:yumainaura:20170813091804p:plain

プラン変更に最大70日かかるサービス

20日が締めで、その次々月の1日から適用。

 

なので、たとえば締め日を1日逃して、8月21日に手続きをした場合、11月1日からの適用になる。

 

70日間。

1年の1/5。

 

このめまぐるしくニーズの変わる世界で、

必要を感じてから、ほぼ1季節を待たなければいけないというのは、大胆な仕組みだと思う。

 

そしてプラン変更後に、やっぱりプランを元に戻す場合も、さらに最大70日待つ必要がある。

 

 

 

妹が誕生日プレゼントにくれたスニーカー ( RED WING ブーツからの履き替え )

この靴で、どこまででも行けそうな気がした。

 

f:id:yumainaura:20170813000932p:plain

 

今まで、5年ぐらい RED WING のブーツを履き続けていたのだけれど、普通のスニーカーは本当に軽い。

 

人より速く歩けるし、自分がここまで歩けることにビックリした。

RED WING を履き続けていたのは、重りをつけたトレーニングのように機能していたのだろうか。

 

最近、自分が「歩くのが苦手だ」と感じていたのは、靴のせいだったのだろうか。

でも、悩んでいたからこそ「歩く工夫をしよう」という発想が浮かんだのだけど。

 

そういう意味では RED WING にも本当に感謝だ。

 

 

お金の洗脳、自己実現の洗脳

お金は洗脳だと思う。

 

洗脳から解放されて

今度は「自己実現」を求める人もいる。

 

だけど僕は「自己実現」ってやつも洗脳だと思う。

 

なぜなら、それは価値体系だから。

 

「お金を持ってるやつが偉い」というのも、

自己実現したやつが偉い」というのも、

色を変えただけで本質は同じだ。

 

 

世の中には、健全な自己実現もあるだろうけれど、

僕らの心が自由じゃないせいで、つい「自己実現を基準とした価値体系」を作りがちじゃないだろうか。

 

「キラキラしていて、自分のやりたいことを全部やった人生が、良いものだ」とか。

「自分がほんとうに満足のいく人生を送るのが、勝ち組だ」とか。

 

だけど良いものがあるということは、悪いものもあるということで。

勝ち組がいるということは、負け組も存在するということ。

 

たとえ言葉には出さなくても、心でそう感じているなら同じことだ。

自己実現できない自分が恥ずかしい」とか「くだらない人生はクソクラエ」とかね。

 

 

ところで話は変わって、

ブッダの教え、原始仏教は「洗脳」ではない、と僕は理解する。

 

なぜなら何らかの「価値体系」を提示しているわけではないから。

悟りを開いたから偉いわけはないし、ブッダが何かの最上位に居るわけでもない。

 

そもそも構造が違うので、原始仏教は洗脳にはなりえないのだ。

 

(無理矢理に洗脳の道具として機能させることは出来るかもしれないけれど、かなり相性は悪いと思う)